今年はいろいろと想定外のことが起こるなあ。
2月に父が入院。3月にリハビリ転院。4月には老人施設へ移動。
やれやれ、これでしばらくは落ち着けるだろうと思ったら、今度は母である。
夜遅くに母がひどい腹痛を訴えた。
どうも普通じゃない痛みのようなので救急車を呼んで、いつもの大学病院へ運ばれた。
しかし腹痛以外の症状も無く、特に問題は見つからず様子見ということで、痛み止めと胃腸薬をもらって帰ることになったのであるが、過去にお腹を切ったことがあると腸閉塞が起こりやすいのでもしかすると…と言われたことが気掛かりであった。母は20年近く前に卵巣にできた良性の腫瘍を切っているが、その後は何事も無く元気に過ごしてきたので、今更そんな昔の手術が影響することがあるなんて驚いた。なんだか嫌な感じがした。
あぁまた徹夜になっちゃったな。
そして、嫌な予感は的中した。
腹痛は落ち着いていたが胃の不快感は続いていてあまり食事がとれず、便秘に加えて吐き気が出てきてしまったのだ。
何を食べても飲んでも繰り返し吐いてしまうので、これはやはりマズイことになっているだろうと夜遅くに今度はタクシーで救急に駆け込んだ。
吐き気はおさまっていて自分で症状を説明できていたのでちょっと安心したのと、検査してもらっている間に待合所のテレビで「未来少年コナン」が映っていたので気がまぎれて良かった。
しかしながら、やはり腸閉塞を起こしているので治療の段取りを打ち合わせしていると言われ、さらに待たされた後に想定外のことを告げられた。
すぐに手術をしたいのだが今はオペが詰まっていてここでは出来ないので、隣の市の総合病院へ救急搬送しますと! なんですとー?!
データをCDに焼く時間をさらに待たされて、空が白んで来た頃に救急車に乗り込んだ。
あぁまた徹夜になっちゃった。
緊急手術の手続きをあれよあれよとさせられ、やっとお腹の画像を見せられると見事に腸がねじくれていた。なんてことだ。お腹を開けて見てもし腸が腐っていたら切ってつながなきゃいけないし、人工肛門になる可能性もあるなどと言われた。
人工肛門!
父のときには回避できたこの言葉をまた聞くことになろうとは。
今度は自分一人で聞かされることの、この心細さよ。
だが私の心配をよそに、手術はあっけなく終わった。
腹腔鏡手術で小さな穴からチョチョイといじるだけで済んだのだ。あぁぁ脱力。
術後は父のときのように集中治療室で管理されることも無く、すぐに普通の個室に入った。
しばらくノドが苦しそうだったが、昼頃には落ち着いた。良かったー。
今後は腸の動きが回復するのを待つばかりだが、コロナ禍で面会禁止なので今どんな状態なのか分からないのが心配ではある。
世の中が混乱して行動が制限されている最中に、色々なことが起こり過ぎて大変である。
病院の出入口の数が絞られているので、救急に駆け込んだときも窓口に近い出入口が閉まっていて右往左往してしまったし。
なんで今年は毎月毎月異例なことが起こって、コロナ禍も加わりストレスがたまることが続くのだ。
安心できる日常はいつになったら戻るんだろう。
それにしても少子高齢化とは、まことに不公平であるなあ。
両親の老後がひとりっ子の私の両肩にのし掛かってくるのだから。
父には5人の姉妹がいて、母には3人の兄姉がいる。
両親は自身の親の面倒は見ていないのだ。
入院・手術の手続きを何度か経験して、ふと自分の老後が心配になってきた。
もし自分が急病になった時には救急車を呼んでくれる家族も居ないだろうし、手術の際の身元引受人の手続きとかどうするんだろう。入院の面倒を誰が見てくれるだろう。
いや今すでに、家にひとりで居る状況がそうか。
現在の心配事よりも、自分の将来の境遇が不安だなぁ。