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別れ。

暮らし/その他

これまで何度か父のことを書いてきた。
締めくくりとして記録しておかないとと思い、久しぶりにブログに向き合っている。

タイトルでお察しの通り、父は先月他界しました。

新型コロナのニュースで世の中がザワザワし始めた2020年2月に入院し、3月には面会が出来なくなってしまった。
2019年頃から足が弱りはじめていて、入院で歩けなくなってしまったため介護施設に移ったあと緊急事態宣言が出たりして、なかなか会えないまま月日が過ぎていった。

面会が再開しても、またすぐに中止の繰り返し。
ウイルスを持ち込んでしまう心配と、逆に貰ってきてしまう不安とで足が遠のいてしまっていた。

去年までは歩けないものの元気な様子だったが、今年の春は車椅子に座っていたが体はだいぶ衰えていてボケも進んでしまっていて、10分程度の面会ではろくに会話にならなかったのがちょっとショックだった。
夏には更に衰えていて、いよいよ寝たきりかと思った。
その後、普通食が食べづらくなったから介護食に変えるという連絡があった。
来年はまた介護レベルが上がるなー、なんて思っていたのだが。

10月の終わり頃、発熱して体調を崩したと介護施設から連絡があった。
しかしコロナともインフルとも言わず状況がイマイチ伝わってこない物言いで、何なんだろうと思いつつ、点滴で様子見して入院になるかどうか月曜日に判断しますと言われたので、なんだ、緊急性は無いのだなと安心したのだが最後に、急な呼び出しがあるかもしれないので連絡がつくようにしておいてくださいと言われた。

ん? あれ? なんかヤバいんか?
まぁ高齢だし悪化することもあるだろうが。
あれ? あぶないんか?

急に心がざわざわしてきた。不安な気持ちで週末を過ごしたが呼び出しは無く。
月曜日の午前中に電話がかかってきて、回復が見られないのでやはり入院させると言うので、施設の隣の病院に手続きしに行った。

そこで先生に言われたのは、今の状況が回復するというよりは老衰が始まっていくんだということ。

すっかり痩せ衰えた父は話すことが出来ず目も見えていないようで、こんなに衰えてしまったのかと驚いたが、声をかけるとうなずいていた。もうボケてしまっていたはずだが、家族が来たことをわかってくれたように見えた(そう思いたかっただけなのかもしれないが)。

いつまでも元気だと思っていたが、今年の衰え方を見るといよいよ覚悟しなければいけないのか。
そう思ったわずか2日後、呼吸が荒くなったのでと呼び出しがあり病院に行くと、何時間後とは言えないが明日ということは無いだろうと言われた。このまま待つか、一旦帰ってもすぐに戻ることになるかもしれないがどうするか問われ、出直すことにして病院の玄関を出たところで看護師さんが追いかけてきて戻った方が良いと言われた。

先生には、「帰っちゃって寂しくなっちゃったかな? 呼ばれたね」と言われた。

病室に戻ると、静かに横たわる父の心電図の数字が下がったり上がったりするのをしばらく眺め、アラーム音が鳴るのをぼんやり聞きながら最期の時を迎えた。

母は泣いていた。あぁ、終わったんだなぁ。

 

などと腑抜けている場合じゃなくて!

葬儀の手配をしなければならない。
ありがたいことに葬儀屋の互助会に入ってくれていたので、病院から電話1本で2時間後には家から近い会館へ運んでくれて、そこでは家族だけで簡単に送り、故郷の寺へ納骨するときに親戚を呼ぶことにした。
後はもう目まぐるしい日々であった。

市内に火葬場が無くて隣の市だったり(自分とこの市役所への死亡届と、隣の市役所へ火葬許可取りは葬儀屋が行ってくれて有り難かった)。

日を改めて骨壷かかえて電車に乗って県外の寺へ行ったり。

その後のいろんな手続きで市役所へ行かないといけないのは仕方ないが、戸籍謄本は本籍地の県外に取りに行かなきゃだし。
年金事務所も市内に無くて母と電車で行ったり、しかも母の実家の住所が合併で変わっていたせいで後日電話がかかってきて、もう1回来てと言われるし!
あーもう、いろいろ大変すぎる!
施設に荷物を引き取りにも行かないといけないのに、後回しでなかなか行けず。

そうこうしているうちに、知らないクレジットカードが更新で新しいのが送られてきて、えー? もう解約するのにぃー! なんてことも。

あっという間に1ヶ月過ぎたよね。
今さら寂しいと思うこともないし、悲しんでる暇も無かったなぁ。

 

想定外のことに振り回されることもあったけど、天の采配かと思ったこともあった。

今年の秋はいつまでも猛暑で、4年ぶりの墓参りをどうしようか迷っていて諦めようかとも思ったが、少しでも涼しくなるのを待ってお彼岸の1ヶ月遅れで行ってきた。久しぶりに会った叔母のガラケーがスマホに変わっていたので、以前見せてくれた父の写真がまだ残っているか聞いてみた。そしてライン設定をして写真データを貰っておいたのだ。

それからすぐに写真が必要になろうとは全く予想だにしていなかったのだが、遺影を準備していなかったので使うことが出来て良かった。本当になんという絶妙なタイミングで入手出来たものだと不思議でならない。ご先祖様のおかげかな?

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